科学ニュース+板 (11/101)
1:pureφ ★ 2011/10/21(金) 08:09:16.02 ID:???
神風で沈んだ元寇の軍船、長崎・松浦沖で発見
見つかった元の軍船の船体(昨年の調査から、琉球大のホームページより転載)
長崎県松浦市・鷹島沖の伊万里湾で、鎌倉時代の元寇(げんこう)(弘安の役、1281年)の際に沈んだとみられる元の軍船が発見された。
発掘を続けていた琉球大の池田栄史教授(考古学)が、20日明らかにした。鷹島周辺ではこれまで元軍の船材の一部やいかり石、砲弾などが出土しているが、原形をとどめた船体がまとまって見つかったのは初めて。
船体は鷹島の南、水深20〜25メートルの海底を約1メートル掘り下げた層で昨年発見され、今年9月30日から本格的な調査を行っていた。船底の背骨にあたるキール(竜骨、幅50センチ、長さ15メートル)と、その両舷側から、幅15〜25センチ、厚さ10センチ、長さ1〜10メートルの船底・船腹の板材が多数見つかった。キールの両側には白灰色の塗料が塗られていた。
中央にキールが通っている船底の構造のほか、船材上に中国陶磁器の破片や中国特有のレンガである磚(せん)があったことから、元の軍船と判断された。キールの先端にはさらに部材をつなぐ加工があり、全長は少なくとも20メートルに達するとみられる。
鎌倉時代、中国・元のフビライは日本に服属を迫るため、2度にわたり朝鮮半島の高麗との連合軍で来襲した。文永の役(1274年)に続く弘安の役では、約4400隻からなる大船団で、14万人の将兵が攻めよせ、一部が博多などで戦闘を繰り広げた。その後、船団が鷹島周辺に集結した際に「神風」と呼ばれた暴風雨で、大半が壊滅したとされる。
日本列島ではこれまで縄文、弥生時代の丸木舟が出土した例はあるが、木材を組み合わせた中世以前の構造船が原形をとどめて出土したのは初めて。構造船としては最古の発見例となる。
読売新聞 2011年10月20日18時48分
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20111020-OYT1T00964.htm
元寇の軍艦の底部発見 松浦・鷹島沖で琉球大グループ
琉球大法文学部の池田榮史教授(考古学)の研究グループは19日、鎌倉時代の元寇(げんこう)で沈んだ元の軍艦の船底部分を松浦市鷹島町沖の海底で見つけたことを明らかにした。これまでいかり石などは見つかっていたが船体の発見は初めて。24日に県庁で記者会見し正式発表する。
石製の砲弾など元寇に関する遺物が多数引き上げられた鷹島海底遺跡内で、今回見つかったのは船底の背骨に当たる「キール」とその周囲の「外板」。キールは幅約50センチの木材で、長さ約15メートルを確認。これまでに見つかったものと同じような中国産陶磁器の破片やれんがに似た「磚(せん)」も散乱した状態であったという。
池田教授のグループは9月30日から10月23日まで遺跡内で発掘調査中。船底部は水深20〜25メートルの海底から約1メートル掘った地中で見つけた。市は遺跡の国史跡指定を目指しており、市教委生涯学習課の中田敦之学芸員は「大変貴重な発見で喜んでいる」と話した。
元寇のうち1281年の弘安の役では、総勢4400隻とされる元軍の大半が鷹島沖で暴風雨に遭い沈没したとされている。
長崎新聞 10月20日
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20111020/01.shtml
見つかった元の軍船の船体(昨年の調査から、琉球大のホームページより転載)
長崎県松浦市・鷹島沖の伊万里湾で、鎌倉時代の元寇(げんこう)(弘安の役、1281年)の際に沈んだとみられる元の軍船が発見された。
発掘を続けていた琉球大の池田栄史教授(考古学)が、20日明らかにした。鷹島周辺ではこれまで元軍の船材の一部やいかり石、砲弾などが出土しているが、原形をとどめた船体がまとまって見つかったのは初めて。
船体は鷹島の南、水深20〜25メートルの海底を約1メートル掘り下げた層で昨年発見され、今年9月30日から本格的な調査を行っていた。船底の背骨にあたるキール(竜骨、幅50センチ、長さ15メートル)と、その両舷側から、幅15〜25センチ、厚さ10センチ、長さ1〜10メートルの船底・船腹の板材が多数見つかった。キールの両側には白灰色の塗料が塗られていた。
中央にキールが通っている船底の構造のほか、船材上に中国陶磁器の破片や中国特有のレンガである磚(せん)があったことから、元の軍船と判断された。キールの先端にはさらに部材をつなぐ加工があり、全長は少なくとも20メートルに達するとみられる。
鎌倉時代、中国・元のフビライは日本に服属を迫るため、2度にわたり朝鮮半島の高麗との連合軍で来襲した。文永の役(1274年)に続く弘安の役では、約4400隻からなる大船団で、14万人の将兵が攻めよせ、一部が博多などで戦闘を繰り広げた。その後、船団が鷹島周辺に集結した際に「神風」と呼ばれた暴風雨で、大半が壊滅したとされる。
日本列島ではこれまで縄文、弥生時代の丸木舟が出土した例はあるが、木材を組み合わせた中世以前の構造船が原形をとどめて出土したのは初めて。構造船としては最古の発見例となる。
読売新聞 2011年10月20日18時48分
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20111020-OYT1T00964.htm
元寇の軍艦の底部発見 松浦・鷹島沖で琉球大グループ
琉球大法文学部の池田榮史教授(考古学)の研究グループは19日、鎌倉時代の元寇(げんこう)で沈んだ元の軍艦の船底部分を松浦市鷹島町沖の海底で見つけたことを明らかにした。これまでいかり石などは見つかっていたが船体の発見は初めて。24日に県庁で記者会見し正式発表する。
石製の砲弾など元寇に関する遺物が多数引き上げられた鷹島海底遺跡内で、今回見つかったのは船底の背骨に当たる「キール」とその周囲の「外板」。キールは幅約50センチの木材で、長さ約15メートルを確認。これまでに見つかったものと同じような中国産陶磁器の破片やれんがに似た「磚(せん)」も散乱した状態であったという。
池田教授のグループは9月30日から10月23日まで遺跡内で発掘調査中。船底部は水深20〜25メートルの海底から約1メートル掘った地中で見つけた。市は遺跡の国史跡指定を目指しており、市教委生涯学習課の中田敦之学芸員は「大変貴重な発見で喜んでいる」と話した。
元寇のうち1281年の弘安の役では、総勢4400隻とされる元軍の大半が鷹島沖で暴風雨に遭い沈没したとされている。
長崎新聞 10月20日
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20111020/01.shtml
4:名無しのひみつ 2011/10/21(金) 08:19:00.16 ID:FJhLuP18
海底を掘るとかw
5:名無しのひみつ 2011/10/21(金) 08:21:03.48 ID:ECsv85e7
木くずww
6:名無しのひみつ 2011/10/21(金) 08:23:07.14 ID:auHjIgQp << 62
四百余州を挙る 十万余騎の敵
国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男子あり
正義武断の名 一喝して世に示す
国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男子あり
正義武断の名 一喝して世に示す
11:名無しのひみつ 2011/10/21(金) 08:25:35.62 ID:wU4uTz/G
ゴミ拾いでつか?
15:名無しのひみつ 2011/10/21(金) 08:37:32.20 ID:3Uz4rSha
神って台風のこったろ
62:名無しのひみつ 2011/10/21(金) 11:27:52.09 ID:xI8m/YJc
72:名無しのひみつ 2011/10/21(金) 13:35:33.13 ID:loAwyftq
>>70
何を期待してるの?
何を期待してるの?
74:名無しのひみつ 2011/10/21(金) 13:44:48.24 ID:EqpazSje
84:名無しのひみつ 2011/10/21(金) 15:13:02.01 ID:YlFvwChA
(>> ソース)
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